失念ぱーく

だんだん猫ブログになりつつある

これまで書ききれなかったことをまとめた日記

10月20日の「さがみはらフェスタ一日目」から、更新が進まずしてそのまま11月の半ばあたりまで来ちゃった。あれ以来、気に入ったラーメンを実店舗で食べることもないまま今日に至る。日頃、暇を持て余しているくせに、これから何かやろうとすると必ず想定外の出来事が起きて、それを解決するべく奮闘しているうちに、時間はあっという間に消費され、ようやく一件落着となった時に我が身は疲れ果て、もう何もする気が起きない。そんな今日この頃。

 

これから、書けずじまいだった諸々についての日記を書くよ。

実は今年の夏にミラーレス一眼を購入しました。私にとって初めての「一眼」と付くカメラです。高価で重いデジイチに手が出せんかったので「やむを得ず」選んだミラーレス、マイクロフォーサーズ機でした。でも今の所これにして良かったかもと思っています。そんなこんなでほぼ毎日カメラ触って、うちの犬猫や窓の景色などを、なーんも考えずにひたすら撮って遊んでおります。

 

 夫がヨドバシで家電見たいって言うからついて行ったその時、暇だったからカメラ売り場見てたら店員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられたんで、何気なく一眼に興味あります的なことを言うたら、主に撮りたい物とかありますかと訊かれまして。なので「ワイ初心者、手先は不器用で重いのはイヤ、主に家のペットを撮ってSNSにアップしたし」と答えましたら、おススメされたのが上の画像のPanasonic LUMIX DC-GF10の標準ズームレンズと単焦点レンズが付いたダブルレンズキットでした。もういっこ候補としてOlympusのダブルレンズキット(標準ズームと望遠)もありましたが、室内撮影が多めなら断然単焦点のセットの方が使えるという店員はんの推しを信じて、パナさんのミラーレスにしました。

それから現在に至るのですが、推しを信じてこれを選んで今のところ不満はありません。ただパナのカメラは手振れ補正がレンズ側にあるので他社レンズを使うと手振れ補正が効きません。そこがちょっと惜しいところ。

 

カメラ歴の浅いペーペーの私なのに、インスタでよく見かけるオールドレンズで意図的にフレアやゴーストを出して撮ったオサレな投稿に影響を受け感化されちゃったので、中古のスーパータクマーを入手して、マウントアダプターも買ってカメラに取り付けて近所の公園の街灯や草花をバンバン撮って遊んでおります。

 

アサヒPENTAX SuperTakumar1・8/55

 

ヤフオクにて入手。たぶん1100円くらいで落札したんだっけ。説明欄には明記されてなかったけど中玉に僅かなカビあり。なので保管する時はこれだけ隔離して防カビ材とシリカゲルと一緒に100均のケースに入れてあります。

 

ぼわーん。先月のさがみはらフェスタに持参しました。逆光で上向きに構えて撮ると全体的に白っぽくフレアになるのね。そして大きな輪紋状に虹色の何やらが。これってね、これもフレアって呼ぶの?ゴーストではないの??色々と検索して回ったけど、虹フレアと称しているのとゴーストと呼んでいるのがあるんだけども。

 

っと、カメラの話はまた次にしよう。

 

副鼻腔炎が慢性化して、上咽頭炎と後鼻漏がつらい。

4年前あたりから、風邪をひいたら必ず後に咳が残って長引く「咳喘息」になっていましたが、それからしばらくして、鼻水が喉の奥へ垂れて止まらず咳き込んでしまう「後鼻漏」へ移行しました。咳喘息の時は、ステロイド吸入でおさまっていましたが後鼻漏からくる咳にはそれも効かず。しかしそいつも耳鼻科でネブライザーと抗生剤の処方によって治っていました。

 

それが今、更にややこしくなって、10月初めに風邪をこじらせ副鼻腔炎になり、そいつが完治せず、上咽頭炎とかいうやつになってしまったのです。鼻水がダラダラと奥に流れるのはおさまっても、喉の奥、そう鼻と喉の間の「上咽頭」ら辺に、粘っこい痰がずっと絡みついている不快感が消えなくなりました。またその不快感、時にネッチョリと、時にはイガイガと。その特にイガイガのやつが、気管を刺激するのか一度ひっかかりを感じるともう咳が止まらなくなります。堪らず「カーーーーー!!!」とおっさんの如く痰を切り出そうとしても、吐き出せない。しかもその無理な「カーー!!」のせいで粘膜が傷ついて出血するので、偶に痰を出せた時にエグイ血痰になっていて、本気で焦りました。だって血痰って、重病の症状でよくあるやん…。

 

命に関わる病気でなかったのは良いにしても、このいつまで経っても消えない不快感はどうにかしたい。就寝時は特につらい。横になると、喉にひっかかった痰がジワジワと落ちてきて咳が出る。おかげでなかなか眠れない。抗生剤も効かず、ついに胃炎になってしもうた。今はひたすら、自宅で食塩水作って鼻うがい。

 

鼻うがいと、食後には少し楽になるのでここ最近はずっと、食べてからすぐ寝る。とっても不健康で美容にも悪いんだけど、こうしないと喉が気持ち悪くて眠れないんだもの。食べてすぐ寝たら、その後の浮腫みが凄いね。ソックスのゴム跡がクッキリですよ。早く治りたいなぁ。

 

あと、うちの犬と猫が日帰り手術したよ。

 

 愛犬ポテルカさんは、去年から気になっていたお腹のイボの切除。

 

コッペさんは、前々から悪かった歯肉炎治療のため、抜歯。

 

二匹とも手術は無事に成功したのですが、ポテは術後に着せられるエリザベスウェアを嫌がり、そのストレスで何度もトイレ失敗しています。しかし服を脱がせると早速、術後の傷を舐めようとするので可哀想だけどこのまま抜糸まで着てもらっています。

 

猫のコッペさんは、歯を抜く前に下痢になっていたので、始めは下痢で受診しました。しかし診察によって歯周病が進行していたのが発覚。それが抜歯手術に至った経緯です。もともと免疫力が落ちやすい子なので、麻酔の影響で猫風邪に。徐々に症状は落ち着いています。

 

この二匹については、また後で別の記事にしようかね。

 

 

 

11月6日は我が3代目愛プレーリードッグ、ゴルゴメロンの10回忌でした。

 

画像が古いよ。だってこれ撮ったの2002年だものね。ゴルゴメロンさんがまだ仔プレ時代の頃。あの子が天国へ逝って、もう10年過ぎたのか。4代目の檸檬も、9月に天国へ逝ったし、遂に我が家にプレーリードッグがいなくなった。私は前々から、檸檬を最後のプレにするつもりでした。それは、先代の烏龍さまとゴルゴメロンをお迎えする時のこと。本当はもう一匹、プレをお迎えして全部で3匹飼う予定でした。既に名前も考えていて、男の子を烏龍、女の子をメロンとレモンにしようって夫と話していたんです。

 

しかし、あの頃プレーリードッグに人畜共通感染症の「野兎病」騒ぎが起きて輸入制限がかかり、そこから立て続けに海外でペストに感染したプレが見つかるという事件が起き、プレーリードッグ輸入禁止動物になってしまい、当時は国内繁殖も難しかったので、入手困難で稀少なペットになりました。

 

当時の輸入禁止騒動で、捨てられるプレが続出したりと色々ありました。プレの飼育日記ブログを当時は開設していたのですが誹謗中傷コメントを書き込まれたりしました。実際のところ、プレはペストに感染するとすぐに死亡するので、日本国内にいるプレがペストを媒介するという事態にはまだ一度も陥っていません。

 

輸入禁止になって3匹目をお迎えすることは諦め、二匹で飼うことになりましたが二匹でもじゅうぶんに楽しく、そして大変でした(笑)

 

先にゴルゴメロンが、そして後から烏龍さまが闘病の末天国へ。どちらも高齢に値する歳ではあったけど、もっと長生きさせたかったな。

それからしばらく、プレのいない生活が続いたけどある時ふと何か感じて、専門店のHPを見たら「プレーリードッグのベビー産まれました、予約受付中」との見出しがあって、居ても立っても居られなくなった私はすぐさま夫に相談。反対されるだろうなと思っていたら、夫の方も承諾してくれてあれよあれよと新たに仔プレさんをお迎えすることになりました。それが4代目の檸檬でした。

 

あの頃、烏龍メロンと一緒にお迎えするつもりだったレモンちゃんを、彼ら亡き後にお迎えし、漢字の「檸檬」にして、また我が家にプレーリードッグとの暮らしが戻ってきたのでした。

 

それから6年半。その檸檬も扁平上皮癌で天国へ逝きました。プレにとって6歳は高齢でもあるけど、もっと生きられる歳でした。私には、プレーリードッグを長生きさせられる技量がありませんでした。いくら愛情を持って接しても、病気にしてしまっては本末転倒だ。そして、長い間プレーリードッグという動物と触れ合ってきて感じた事は、「彼らは人の手が加わっていない野生動物」だということ。彼らはその小さな身体のわりにとても力強く、行動力があるので管理が大変でした。家具も壁もあちこち壊されました。それは覚悟の上だったからよかったんです。困ったのは、そのパワフルさが有り余って己の体を傷つけること。特に檸檬でしたが、じゅうぶんに遊ばせてやっても、気になるものがあれば気の済むまで歯を立てて、最終的に自分の前歯を折ってしまいました。診てくれる病院も少なく遠方だし、治療費が吹っ飛びました(笑)その時は治ったからいいけど、治らず歯を痛めて致命傷になる例もあり・・・本当に大変でした。大好きな動物だからそれでもよかったけど、飼い主である私の方が歳のせいで、あの頃のフットワークがなくなってきまして。

 

それに何故か前々からずっと檸檬で最後のプレになるだろうと思っていて、今でももう新たにプレをお迎えしようとは思いません。プレが嫌いになったのではないのに。動物園へ行っても、いちばん長い時間見ているのはプレ。上野動物園ではパンダよりプレをずっと見てる。大好きなのは変わらないのに。

 

そして、今の自分の傍に、目に見えないけど檸檬や烏龍とメロン、その前の代のプリンとマロン、初代の社長君たちが寄り添ってくれているように感じます。だからもうこれでいいや。

 

プレーリードッグはもちろんだけど、うさぎも好きです。

そうよ、うさぎも好きよ。2015年夏に突然月に帰った、愛兎おっぽこ一番のことも当然愛しております。うさぎさんはね、いつかまた飼いたいと思ってるんです。今は犬一匹猫二匹がいて、この環境にいきなりうさぎさんを放り込むのは、うさぎさんにとって辛いことしかないのでワンにゃんが元気なうちは飼う予定なし。

犬は飼い主がコントロールできればどうにかなるけど、問題は猫。うさぎと同居している猫はたしかにいるけど、うまくいっている殆どが「うさぎの方が先住」のはず。そして仔猫の頃からの同居であること。たぶん、このふたつの要素がないと共存は難しいでしょうな。うちの猫、お琴さんはおっぽこ存命の頃にうちに来たけど、当時は仔猫だったので共存できた。猫のほうがうさぎに対してビビッている位じゃないと、マジで共存は難しいですよ。ほんとほんと。

 


お琴とおっぽこ.mp4

 

うちのやんちゃ姫、お琴さんだけどもうさぎのおっぽこが怖くて近寄れなかった。なのでお琴とおっぽこが一緒に写っている画像、動画は殆どなくて、たぶんこの動画だけです。下の木箱に入ってのんびり牧草を食べているおっぽこがとても孤高で素敵で愛おし過ぎる。

 

 ああ、今日はいっぱい書いた。

これを少しずつ、ひとつずつこまめにかいて更新したらいいんだけどね、なかなか出来ないね。どうしてだろうね。

 

 

先々週だけどさがみはらフェスタ2018に行った

相模原市に住んでおります。

ブログ的にはとうに賞味期限切れ、10月20~21日のお話になっちゃうのですが、日本で19番目に政令指定都市になった相模原市が、米軍基地補給廠跡地にて、毎年開催しております市民の祭典「さがみはらフェスタ2018」へ行きました。

 

 

政令指定都市になった割には、どうにもビミョー感が拭えない相模原市(主観)。何故だろう。何が足りないのか。横浜は仕方ないとして、川崎にも負けてるっぽく感じる(主観)。・・・まぁいいやこの話はもう終わっとく。

 

普段はあまり人通りの少ない補給廠周辺ですが、このイベント当日は来場者たちで大変賑わいます。相模原市の玄関口的な駅、JR横浜線相模原駅を降りて徒歩10分ほど(フェスタ公式サイトでは5分と書いてあったが、早歩きに自信のある大阪育ちの私でも5分は無理です)の距離に入場ゲートがございます。ちなみに相模原駅は自宅の最寄り駅でもあります。市の玄関口であるはずなのに、駅周辺の施設は隣駅の橋本のほうがずっと栄えております。あ、また我が街ディスりになってるわ。

 

sagamihara-festa.com

でもね、毎年行われているイベントはわりと賑やか。今回のフェスタは勿論、春の桜開花日に合わせ開催される「桜祭り」もあるでよ。市役所大通りを歩行者天国にして行われるんだけど、満開の桜のトンネルに、花びらをたくさん敷き詰めた道を屋台フード食べながら闊歩するってのも良いものです。しかしここ近年は桜の開花が予想より早くなることが多く、イベント当日に散ってしまった場合は急遽「若葉まつり」に名前を変更します。そうなんです、結局、桜はそれほど重要でなくてお祭りやりたいだけなんです。

そして本題。相模原フェスタが開催されるのは、秋。秋といえば食欲の秋です。しかし食欲旺盛な人は季節問わずよく食べます例えば私。生きてるから腹が減るのです。

 

相模原で有名なのは「ラーメン」なのだそうです。と言っても私、ラーメンはあまり食べないほうなのでどこの店の何が美味しいかとか、まったく分かりません。とりあえず家系は苦手です。試しに食べたら味の濃さで半分しか食べれずでした。決してラーメンが悪いのではなく、私がBBAなのが悪いんです。だからあまり濃いのは、脂ギットギトなのは遠慮したいのに、いまどきのラーメンってギトギト多数なイメージ。それもあって、長いことお店のラーメンから遠ざかっておりました。だけどもせっかく相模原フェスタに来たんだったら当フェスイチオシ「さがみはらぁ麺グランプリ」にて、久し振りに色んなお店のラーメンを食べ比べてみようと。

 

「相模原はラーメン」と述べましたが、たぶんそれを言っているのはきっと相模原市民だけのような気がしないでもない。たしかに私の生活圏内にも、彼方此方にラーメン店がございます。しかし、博多とんこつとか佐野ラーメンとか富山ブラックとか八王子ラーメンみたいな、所謂「ご当地ラーメン」というのがまだ確立されていない様子。という現状もあって、市はどうしても相模原をラーメンの街にしたいらしく、未来の「相模原ご当地ラーメン店」を誕生させたいのと、市民以外にも相模原のラーメンを知ってもらいたいといった願いが込められた催事がこの「さがみはらぁ麺グランプリ」なのだ。知らんけど。

 

フェスタの主役はラーメンなのです。

 

フェスタ一日目、私は夫と二人で午後4時過ぎに来場。遅めの方が来場者が減るのでラーメン食べる席を確保しやすいのです。

 

相模原フェスタの最大の催しは、やっぱり相模原市の人気ラーメン店が参加、出店する「さがみはらぁ麺グランプリ」でございます(公式サイトもそう言ってる)。公式サイトで見たところ、初開催は2010年だそうで、当時のグランプリは博多中洲屋台鈴木ラーメン店さんで、その年のみ同時開催されていた「あなたが選ぶ相模原市内NO.1ラーメン店グランプリ」では麺屋鼎さんがグランプリを受賞、ですと。そして去年の2017年グランプリはその前の年に続いて博多長浜らーめん六角堂本店さんやと。ほれやっぱり博多とんこつ系はいつだって強い。私は昭和の人だから、近所のボロい店が出すような、シンプルな醤油味で具はネギとなるととメンマ程度の、やっすい中華そばが口に合うのよ。そして、誰がなんと言おうとサッポロ一番味噌と塩が最強だと思ってる。ごめん。

 

いやでも、せっかくラーメンのお祭り来たんだからいつもと違うの食べようさ。

 フェスタ会場内「らぁ麺ゾーン」で、グランプリに参加した14店舗が全店一律一杯500円で自慢のラーメンを提供しておりました。営業時間は10:00~17:00、もう終了時間まで一時間を切っているのに、殆どの店舗でラーメンを求める行列ができていました。さて私はどれを食べようか。3分の1食べて残りを夫に食べて貰えれば、5杯はいけそうだなぁと内心ワクワク。

 

 とりあえず一杯め。「一国堂」の「とろとろトマトラーメン」。近所に店舗があるんだけどずっと「トマトラーメン」ののぼりが気になっていたやつです。イメージより濃厚だったけど、トマトゆえにさっぱりした後味。トッピングのチーズが太麺とよく絡んで、これがスープとよく合う。私は好き。たぶん女性ウケするラーメン(夫はイマイチだったらしい)。

 

 

二杯め。南区相模大野「肉煮干中華そば 鈴木ラーメン店」の「ブラジリアンラーメン シュラスコ風」。当日は空腹だったせいか、写真のお肉に引き寄せられてしまった。しっかり味付けされた牛肉は程よい噛み応え。スパイスの効いた濃いめのスープによく合います。細ストレート麺というのもあってか意外にあっさり食べられました。ってか予想以上に美味しいと思ったわよ。

 

あれれ、シンプルな味のラーメン食べたかったはずなのに。

 

 

 

三杯め。緑区二本松の「ラーメンたんぽぽ」の「焼きあご出汁 超特選たまり醤油ラーメンWith九条ネギ」。うん、基本は醤油ラーメンですよね。昭和のラーメンらしさ溢れる「なると」が入ってるのが好き。やっぱりこのビジュアル、この味この香り。麺をすすると焼きあご出汁の香りが鼻と口いっぱい。たまり醤油のコク。ってかなんでお醤油ってこんなに美味いの。ほんで九条ネギ美味い。ネギ増量したかった。

 

じゃ、次は・・・といきたいところだけど、夫婦ともにもう満足。もう歳なんやねぇ、無理して食べたら次の日の腹具合に響く。通常より少なめのラーメンたった三杯で、私の相模原ラーメン食べ比べ会2018は終わった。心ではまだまだ食べたい。だけど胃袋がついて行けない。若い頃と比べて明らかに食事量が減っているのに、体重だけは増えていく。昔は絶対に付かなかった箇所に付いてくる。まさしく「謎肉」である。そしてこの身体についた謎肉、いったい何の栄養を吸収して形成されるのか。

 

ああ、謎肉といえば日清カップヌードルやんか。時々むしょうに食べたくなるやつ。子供の頃はあの謎肉、子供の頃はお湯をかける前の硬い状態なのをそのまま食べるのが好きだったなぁ。

 

ところで話がいつの間にか逸れてる。

 

相模原フェスタのグルメはラーメンだけでなく、地域物産店もいろいろ。「さがみはらパワーゾーン」では、津久井きな粉を使った揚げパンや酒饅頭など地元特産品をはじめとした、JAXA研究施設でつながります銀河連邦7共和国の地元特産品を使用したグルメ屋台が立ち並ぶ「銀河連邦・友好都市ブース」と、相模原市内の各店・団体が集まった「各種物産ブース」がありました。

まだあまり知られていない相模原グルメは勿論のこと、他に在日米軍基地管理本部の「サガミラウンジ」からは生ビールやナチョス、基地バーガー等の販売。相模原警察署からは、振り込め詐欺防止の啓発やパトカー展示(中に入って記念撮影できるらしい、実社会で既に入った経験ある人には苦みのある催しです)。SC相模原横浜銀行共同でキッズサッカーゲーム(プレゼントあり)等々、まだここで書ききれない位のイベント出店がありました。まぁどれも派手さはないかもだけど、地元ローカルらしさ溢れるほのぼの平和ムードが漂う場内でした。

 

それ以外にも、縁日なんかで普通に見られる屋台もずらり。家族連れで楽しむに丁度良いですな。こういう雰囲気の空間に居ると思うのは、ああ家族っていいなぁ、もしうちに子供がいたらどんな感じでこの一日を過ごしたんだろうか、なんて。

 

 

 

 ラーメン食べたし、もう夕方だしまだ空は青いけどうっすらとお月様出てるし。会場を出てのんびりと補給廠跡に開通された、まだ未完成な道路を夫婦並んで歩いた。なんだかとてものんびりした一日でした。

 

ところでこの相模原米軍基地なんだけども、一部返還ということで話が進んでいたんだけども最近になって、弾道ミサイル防衛部隊の新司令部が発足とな。あらやだ、全返還ってのは無理みたいね。返還された土地に大きな商業施設ができるんじゃないかって近隣住民で密かにワクワクしとったんだけど、どうなるんだろうね。

 

しかし、実を言うと私、窓から見える基地の風景って嫌いじゃない。司令部が出来るって情報に対しても「司令部ってなんかカッコエエ」みたいな謎のウキウキ感すら覚えた。それはたぶん、私が戦争を体験していないからだろう。完全なる平和ボケだ。でもそんな経験値は積みたくない。このままずっと戦争なんてよく分かんないままのゆるい日本人でいたい。

 

なんだか深刻な方向へ話題が逸れてしまいましたが、次の記事でフェスタ二日目について書く予定。先々週の話を書いている間にハロウィンが終わって11月になったよ。早いもんだ。

 

 

腱鞘炎とは長いともだち

 

 

私は今、腱鞘炎。

アイハブ腱鞘炎。

だいたい左手で、手首だったり

指だったり

とにかくつらいよ。

 

今年夏ごろからミラーレス一眼買って、カメラにハマって一日中パシャパシャしまくってたら、見事に腱鞘炎です。ズームやピント調節に使う左手の指と手首内側を、ピキピキッとやっちゃいました。

 

たぶん、まずはじめに「腱鞘炎とは」から書き始めなきゃいけないんでしょうな。ですが私今ちょうど絶賛腱鞘炎中なので、それについてはもう他リンクから引っ張っておきます。私が書くよりずっと分かりやすいし。ああ、いつか簡潔で明確な文章を書きたい。

 

medicalnote.jp

 

・・・ということなんです。

私のファースト腱鞘炎は、10代の頃。ギターの練習とガラス工場の梱包バイトで左手首を痛めました。その当時の治療法は温湿布を貼って患部を休ませるのみ。もちろんギターの練習はおあずけ、バイトは梱包から手を動かさない検品作業に変えてもらっていました。その検品作業ってのが、とにかく眠い。ベルトコンベヤーに乗って流れてくるガラスのコップたちをただひたすら目視で不良品を見つけ出し、破棄するだけの作業。椅子に座るので足は楽だけども、蛍光灯に照らされた白い板の前を、途切れる事なく通り過ぎていく同じ形状の物体。そいつをただ延々と凝視し続けるだけ。コンベヤーから発せられる規則的な操作音だけが聞こえる空間。こんなんで眠くならないはずがなかろ。特に製造機が絶好調で不良品がほぼ流れてこない日なんて、ほぼ睡魔との闘いである。早く腱鞘炎を治して梱包作業に戻りたかった。眠気防止に飴ちゃんばっかり食べて太ったし。

 

腱鞘炎の思い出について書こうとすれば、ついついこの工場バイトの話を書かずにいられなくなる。そしてまた手首が痛い。こんな性分が嫌になるけどこんな自分は嫌いではない。

 

腱鞘炎 - Wikipedia

何となくだけどWikiのも貼っておこう。

 

とりあえず先輩にきいてみる。

ずっと同じ動作で手を酷使する工場バイトだから、私よりずっと長く勤めている先輩さんたちに、腱鞘炎になる人は多いのか訊いてみたら、真面目に作業している人はほぼ全員、腱鞘炎の経験があるとのこと。対処法はありますかと訊ねたら

 

「バイト休もう、休ませてもらえなかったら湿布して痛み止め飲んで耐える」

 

と、経験者じゃなくても考え付くだろう回答でございました。

 

すると、少し離れた所にいた社員のオッチャンが会話に入ってきて私に教えてくれた。

 

「湿布には、患部を冷やす冷湿布と温める温湿布があんねん。急性の痛みには冷湿布。慢性なら温湿布。腱鞘炎は急に激痛になるけど慢性やから温湿布やで~」ですってよ。

 

早速その日のバイト帰りに、薬局で温湿布を買って患部に貼ったんだけども、入浴の時、温湿布を貼っていた箇所にお湯がかかると異様に熱い。痛みを伴う熱さでヒリヒリし始めた。もちろん浴槽に浸かったらそこだけ熱湯のように感じて思わず叫んでしもうた。あっつ!!

 

温湿布を貼った部分は熱さが倍増する、というのを覚えました。そして社員のオッチャンのアドバイスのおかげで私のファースト腱鞘炎は比較的早く治ってくれた。まぁ若かったし今よりずっと治癒力も高かったよな。しかしこれをきっかけに私の左手は、事ある毎に腱鞘炎を発症するようになったのです。

 

あの頃教えてもらった温湿布。たしかに効き目はあるんだけど、主婦業になった現在は毎日の水仕事は欠かせず。洗い物とかするのに、手首に温湿布は難しい。それにどうやら皮膚に対して刺激が強いみたいで、貼った部分が赤くなってヒリヒリしだすので、今はもう温湿布は貼らなくなった。

 

今はもう、痛くなったらとっとと整形外科へ行く。

加齢とともに回復力がなくなってきたし、なんだかんだでやっぱり病院へ行くのがいちばんですわ。ずっと左手首ばかり痛めてきたが、ある時初めて右手を痛めちゃった。もう無意味な我慢はしないぞ。と、すぐにでも痛みを和らげてもらいたかったので麻酔科のある整形外科を探し、そこを受診したのね。

 

どうやら地元でとても人気のある病院らしく、平日午後なのに大変混んでいて診察に呼ばれるまで2時間近く待ったけど、結論、麻酔科のある医院へ行ってよかった。痛むところに麻酔注射を打ってもらって痛みを和らげてもらえるから。過去に受診した整形外科ではレントゲン検査の後、湿布して包帯で固定し、後は処方箋として痛み止めと湿布一週間分出してもらうだけだった。しかし麻酔しないという方針が悪い訳ではない。

 

そもそもなぜ「痛み」という感覚が存在するのか。

血の通った生き物にとって痛みは必要なものだと、子供の頃に読んだ人体図鑑に書いてありました。痛みは身体の危険を警告する信号のようなもので、生きるためにとても大切な感覚なんだって。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、痛覚。これら六つの感覚の中で痛覚だけが何の喜びもないよな…いや、Mの人は別か。

 

そんな訳で、腱鞘炎が痛むのは「これ以上曲げたら関節壊れちゃうわよ」って身体が出すサインで、痛いのイヤな我々は従う他なく、患部を極力動かさないよう注意する。これにより回復を早める。どうしても動いちゃうって言うんならガチガチにテーピングでもして固定すればよし。そもそも腱鞘炎の痛みぐらいでいい大人がピーピー言うな我慢しやがれ、って方針は、たぶんこちらのほうが正しいのかも知れない。

ああ、たしかに腱鞘炎くらいで死なないし、大きな後遺症が残ったりもしない。

 

だけど痛いのイヤなの。

 

「命に別状ない、緊急性がない」といった理由で、我慢を強いられるのも辛いもんだよ。それにひたすら耐えている時間が途轍もなく無駄な努力に感じてしまう。だって痛い痛い言いながら晩御飯作っても、出来上がる物は普段と同じかそれ以下だもの。それを夫が普通に食べておしまいなんだもの。痛みに耐えたのを何かしらの形で表彰されたりとかあるんだったら、我慢のし甲斐もあるんだろうけど。我慢したって誰も得しないから多少回復が遅くなったって、私は麻酔打ってもらいます。

 

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麻酔処置の後は処方箋の湿布を貼って処置、の流れ。しかし我が家は犬と猫がいるのでなるべくニオイと成分の強い湿布は使いたくないから、ひたすらテーピングと「湯たんぽであっためる」。そして時々市販の塗り薬。

 

腱鞘炎になりました。テーピングで保定してひたすら温めて回復につとめておりまする。#腱鞘炎 #テーピング #割り箸 #痛い

 

ついでだから過去にインスタへ投稿した、私の腱鞘炎テーピングを載せとく。固定するのに包帯とテープが足りなかったので割り箸をくっ付けた。なんかアホみたいですけど、動かさないよう固定するのに丁度よさげなのが割り箸しか見当たらなかったんです。でもこの割り箸、なかなかよかったよ。

 

ちなみに現在もカメラ熱は冷めず、相変わらずほぼ毎日、犬の散歩がてらカメラ構えて近所の町の風景をパシャパシャしております。オールドレンズにドハマりして、マニュアルフォーカスの操作に慣れるべく練習に励んでおります。もしかしたらまた近いうちに、いつもの左手がピキピキッってなっちゃうかも知れない。ま、気を付けながら趣味を満喫して平和に過ごしていきますわ。

 

 

夜中にアジアンムーチョ食べる

今、明け方の4時過ぎてるけどお菓子食べるよ。

 

湖池屋アジアンムーチョ・トクヤムクン味を開封するぜ。小腹減ったら仕方あるまい。ってか元々そんなの気にしないわ…子供がいないからできるんだけどね、こんな自由。ってまぁそれはさておき食べてみよ。

 

湖池屋ポテチは時々暴走するけど(桃とかみかん味とか)、わさビーフとすっぱムーチョは私にとって(あくまでも私にとって)の最高傑作ポテチだと思ってるんよ。はい。

 

実は辛いのってそんな得意ではないけど、インドやタイのエスニック料理が好き。特にすっぱ辛い風味は病みつきになる。このポテチ、今回ロハコさんで見かけたので日用品を買い物するついでに一緒に購入。

 

 

で、食べてみた感想だけど、美味しい。トムヤムクンの味です。案外いろんな食材に合うのねこの風味。しかしこれ凄く美味しかったんだけど、辛い(笑)インド料理店のカレーは甘めを、ココイチなら「中辛か1辛」をいつも選ぶ私の味覚には、かなり辛かった。だがしかし美味い。なんだか止まらなくなって額に汗しながら完食した。これはリピート決定。

 

で、最近コンビニでポテチ買うとレジの人が「お箸付けますか?」と訊ねるので、???と理解できんかったんだけど、スマホSNS世代の若い人たちは、ポテチをお箸で食べるんだと知りました。最初は「なんだよ潔癖アピールか??」なんて思ったけど、実際に手でポテチ食べたら爪の中に粉は入るし、ポテチの油分が付いた指で何か触ったらそこが汚れる。一つまみする度にティッシュで指を拭くよりもずっと効率的だし、お箸でつまむ方が食べやすいんよね。手も汚れないし食べながら手作業できる。なんだよ凄くええやないか。なんで私ら世代はこのやり方をしなかったんだろうか。もっと早くにお箸使ってれば、どれだけのティッシュを節約できただろうか。ほんまそれよ。だから私もこれからスナック菓子はお箸で食べることにしますわ。

 

 

うちの猫のこと

更新サボり過ぎてる。

ただでさえアクセス数少ないのに。

いんや、少ないどころじゃない

「ほぼほぼ、ない」

だろ。

 

まぁいい、そんなことよりも、うちの猫の画像を見せたい。誰でもいいから見てくれ。

 

コッペさんは先住のお琴さんより繊細な体質である。
 

そのくせ食いしん坊でつい食べ過ぎて下痢Pになる。そして吐く。そして頑固である。抱っこされるのは大の苦手で拘束を異様に嫌がる。幸いにも寝つきがよいので爪切りはすべて寝ている隙に実行する。ブラッシングは好きだけどシャンプーは自宅で素人が強行するのは絶対無理。プロに頼むか…と考えたこともあるけど、それはどうも私が心配でたまらない(他人は信用できないからコッペさんを任せられない、獣医さんも正直信頼はしてない)からダメ。結果、ドライシャンプーシート片手に追いかけまわしている。

 

 コッペさん、元保護猫。相模原市の保護猫シェルター「たんぽぽの里」出身。2015年に神奈川県綾瀬市で起きた多頭飼育崩壊によりレスキューされたうちの一匹である。

 

保護された当初は、皮膚病(真菌症)と歯肉炎がひどかったらしい。真菌のほうは保護後すぐに治療を受け全快したが、歯肉炎のほうは一度罹ってしまうと、炎症部位に生えている歯を抜いてしまわなければ根治しないそうだ。なので我が家の一員になった現在も歯肉炎ユーザーであり、その時の歯茎の状態によって投薬治療を受けるという形で対処しております。

 

今後の健康管理の為にも抜歯手術を考えているが、コッペさんの歯は歯茎の状態のわりにかなり頑丈に根付いており、大粒の硬いドライフードも難なくボリボリと平らげている。かかりつけ獣医さん曰く、食べるのに不自由していたり、痛みでつらそうにしている訳ではないなら今無理に抜歯手術しなくても良いのでは、とのこと。

しかし、口を開けばその歯茎は赤く、口臭もきつい。そしてあの小さな前歯は上下ともに抜け落ち見事になくなってしまった。

 

猫の前歯。他の歯に比べ異様な程に小さな前歯。存在する意味があるのか考えてしまう程に小さな、あの前歯よ。私はあれがとても可愛いと思っているので、コッペさんの前歯が消滅した事実はちょいと寂しい。

 

前歯がなくなった所為なのか、よく舌がチロリンコしている時がある。

 

コッペさんのように歯肉炎が慢性化している子は、何かの感染症がないか、検査を受けることをおすすめいたします。保護猫だと保護ボランティア内で既に検査済みだという場合が殆どですが、悲しいかな次から次へと行き場のない猫たちが保護される現状です。それまでは検査結果が陰性だったとしても、新たに収容された個体からや、感染した個体と接触した人を介していつの間にか感染してしまうケースもあり得ます。どこの保護団体も皆、いっぱいいっぱいの状況で運営しているので常に全頭、完璧に管理できるはずがない。なので保護猫を迎え入れトライアル開始する直前に、里親側負担でウィルス検査を申し込むことをおすすめします。

 

あ、コッペさんウィルス検査は陰性でした。しかし今年2月にトリコモナス原虫が出ちゃいましたー(涙)。なんとか駆虫できた(と思う…)のですが、あの時はもう大変でございましたよ。たしかその時、問題の歯肉炎が少し悪化したので飲み薬で対処していたのですが、新しいお薬が合わなかった?のかあまり効き目を感じずどうしよっか悩んでいた矢先に酷い下痢が始まったのでした。

 

トリコモナス原虫は、健康な成猫なら免疫力で抑え込めるので症状が出ないのですが、体力のない仔猫老猫、免疫力が落ちている成猫には激しい下痢と血便を引き起こし、駆虫も難しいという厄介な奴です。幸いジアルジアのように体外から出てもしぶとく何週間も生き続けて同居ペットに感染したり駆虫が済んでもまた戻って来るとかじゃないそうで。コッペさんの他にもう一匹猫と小型犬を飼っている私にとっては「ジアルジアじゃなくてよかった」です。駆虫困難なのはトリコモナスなんだそうだけども。

 

 2月にトリコモナスが出たのは、やっぱり歯肉炎がらみだとしか思えん。炎症止めの投与で腫れとヨダレはすぐに止んだものの、またいつかひどくなったら。駆虫したとばかり思っていた原虫が、実はまだ生き残っていて免疫が落ちた時にまた悪さをし始めたら。そう考えるとつらい。コッペさんがつらそうなのは見ている自分もつらい。

 

だからもう、かかりつけ獣医さんにコッペさんの抜歯手術を申し出たい。もしそれで手術を渋る様子なら、病院を変えるつもりだ。

 

 

隠したほうがいいのか、隠すからそう見えるのか(犬の下腹)

我が愛犬、ヨークシャーテリアのポテルカさん。

同犬種を飼っている人ならきっとお分かりだと思いますが、うちの子はぽっちゃり体型で…いや太り気味…いや、デブです。

 

その「デブ」のせいなのでしょうか。ポテさんが足を閉じて横たわると、お腹の下中央に一筋、縦シワが寄っちゃうんです。それがね、何と言いますか…あくまでも私の感覚なのですが、なんだかヒワイ?なものに見えるような気がしないでもないでもないでもないので、上画像のようにスタンプなどで隠しております。

これについて、今でも悩んでいるのです。もしかしたらポテさんの縦シワをヒワイだと思ってスタンプで隠す、私の感性がおかしいだけなのかも知れないと。

 

その縦シワですが、実際にはこんな状態です。

やっぱり普通ですかね?変な方向に想像力を飛ばす私がおかしいですかね。

 

べ、べつにやらしくなんかないじゃないか!・・・でもやっぱり隠す。

 

それにしてもポテさんのお腹、すごいな。お散歩中にすれ違った人に「お腹に赤ちゃんいるんですか?」と真面目に訊かれましたから。あと、同じく真面目に「仔犬ちゃんですよね?」とも。うん、通常のヨーキーはこんな腹していないもん。それもこれも、ポテさん溺愛でおやつあげ過ぎちゃう夫のせいだぞ。歩いてるシルエットなんてもう犬より子豚だぞ。かかりつけ病院でも「お腹パンパン(笑)」って言われてるのに。

 

そうだ、このお腹ポッコリのせいで、こんな変な縦シワが出ちゃうんだよ。

 

でもうっすらピンク色のむっちりボディはちょっとせくしー。良くないのは分かってるんだけど、この姿、かわいいよ。

 

いやいやいやいや、ダイエットはさせますよ。まだ健康に影響が出ていないから、こんな呑気なこと言ってられるんだよ。後で後悔しない為にもなんとかしてやらねば。この子はぬいぐるみやマスコットじゃないから。命だから。

 

今までさんざんポテを甘やかして太らせてきた夫も、徐々に分かってきてくれたのか最近は私の「おやつあげるな」を守ってくれるようになってきました。まだこっそりあげてる時あるけど…(;´∀`)あまり強く言うと逆切れするからな(笑)

 

ポテルカさんねぇ、夫が出張で一晩帰らない日等、保護者が私しかいない時は、あまりおやつのおねだりしないんですよ。しつこくねだるのは夫にだけ。もう完全に人を見ているよ、賢いよなぁ。だから夫に「あんたポテにナメられてるよ」と注意しても「俺はポテちゃんの言いなりやもんなぁ」とデレデレになっておった。こりゃ重症だ。治すのはこっちが先かも知れん。

 

可愛いから甘やかしたくなるのは分かる。

でもそれだけじゃダメなの。

ぬいぐるみじゃないから。

 

猛暑と自然災害、SNSと昔の自分

西日本豪雨の被害に遭われました皆さまへ、一日も早い地域の復興を願い、謹んでお見舞い申し上げます。

 

ついこないだまで「寒暖差ガー」言うとったのに、いきなりの梅雨明けでいきなり夏になりました。そして各地で度重なる地震、大阪北部の大地震台風7号去ったそのすぐ後で西日本に甚大な被害をもたらした豪雨よ。なんなの今。どうなってるのよ日本の夏は。

 

SNSが今の私のコミュニティツールであり、その中で仲良くしてもらっているユーザーさん所謂ネット友達ですが、ネット故に日本のあらゆる地方にいらっしゃいます。北国にも、九州にも、そして関西、四国、中部地方にも。ですから今回の豪雨被害に遭った地域にもペット繋がりで知り合えた人がいます。SNSのTLで安否を確認できましたので、今の時代はネットが普及していて、本当によかった。

 

たぶん、昔のようにネットがなくて自分の近くの人間としか交流しなかったら、遠くの地方の災害なんて所詮他人事のようだったでしょう。思い起こせば阪神淡路大震災の前、正確に言うと昨年末28日に起きた三陸はるか沖地震(青森県八戸が震源マグニチュード7.6)の余震で最大規模に値する地震(マグニチュード7.2)が1月7日に岩手県沖で発生した時のこと。当時大阪に住んでいた私は、まだ地震が起こるメカニズムについて無知であり、周囲の人たちも「大きな地震は火山帯が通っている地域で起こるもの」と信じ切っていました。活断層というものを知りませんでした。

 

だから、報道番組で青森の被害状況が放送されてもみんな「関西に住んでてよかったわ~」なんて呑気なことを言っておりました。そしたらその10日後に朝からドドーンです。1.17の震源兵庫県淡路島で大阪は震度4~5でした。しかし私が住んでいた西淀川区は地盤が緩いらしく、そこだけ震度5強。家具がグチャグチャに倒れて、本当に怖かった。震源に近い神戸の友達ともなかなか連絡が取れず、中には震災以後、音信不通となってしまった人もいます。あの頃はネットはおろか、携帯もなかった。あの頃にもしネットがあったら。LINEやTwitterがあったなら、連絡できたかな。私の方が仕事や家庭環境などで色々あってネガティヴになっていたので、友人との交流を自ら避けていたんだっけ。あんなことが起こって音信不通になってしまうなら、もっと会話すればよかったなぁ。なんて考えちゃうのです。