失念ぱーく

フォルダに残された「これ何だったっけ」画像から曖昧になった記憶を辿るのと、腹に溜まった黒いのをチマチマ吐き出すブログ。

猛暑と自然災害、SNSと昔の自分


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西日本豪雨の被害に遭われました皆さまへ、一日も早い地域の復興を願い、謹んでお見舞い申し上げます。

 

ついこないだまで「寒暖差ガー」言うとったのに、いきなりの梅雨明けでいきなり夏になりました。そして各地で度重なる地震、大阪北部の大地震台風7号去ったそのすぐ後で西日本に甚大な被害をもたらした豪雨よ。なんなの今。どうなってるのよ日本の夏は。

 

SNSが今の私のコミュニティツールであり、その中で仲良くしてもらっているユーザーさん所謂ネット友達ですが、ネット故に日本のあらゆる地方にいらっしゃいます。北国にも、九州にも、そして関西、四国、中部地方にも。ですから今回の豪雨被害に遭った地域にもペット繋がりで知り合えた人がいます。SNSのTLで安否を確認できましたので、今の時代はネットが普及していて、本当によかった。

 

たぶん、昔のようにネットがなくて自分の近くの人間としか交流しなかったら、遠くの地方の災害なんて所詮他人事のようだったでしょう。思い起こせば阪神淡路大震災の前、正確に言うと昨年末28日に起きた三陸はるか沖地震(青森県八戸が震源マグニチュード7.6)の余震で最大規模に値する地震(マグニチュード7.2)が1月7日に岩手県沖で発生した時のこと。当時大阪に住んでいた私は、まだ地震が起こるメカニズムについて無知であり、周囲の人たちも「大きな地震は火山帯が通っている地域で起こるもの」と信じ切っていました。活断層というものを知りませんでした。

 

だから、報道番組で青森の被害状況が放送されてもみんな「関西に住んでてよかったわ~」なんて呑気なことを言っておりました。そしたらその10日後に朝からドドーンです。1.17の震源兵庫県淡路島で大阪は震度4~5でした。しかし私が住んでいた西淀川区は地盤が緩いらしく、そこだけ震度5強。家具がグチャグチャに倒れて、本当に怖かった。震源に近い神戸の友達ともなかなか連絡が取れず、中には震災以後、音信不通となってしまった人もいます。あの頃はネットはおろか、携帯もなかった。あの頃にもしネットがあったら。LINEやTwitterがあったなら、連絡できたかな。私の方が仕事や家庭環境などで色々あってネガティヴになっていたので、友人との交流を自ら避けていたんだっけ。あんなことが起こって音信不通になってしまうなら、もっと会話すればよかったなぁ。なんて考えちゃうのです。